井上靖年譜



1907(明治40) 0歳 5月6日軍医井上隼雄とやゑの長男として北海道上川郡旭川町に生まれる。
1910(明治43) 3歳 父母のもとを離れ静岡県湯ヶ島に移り、養祖母かののもとで育てられる。
1914(大正 3)  7歳 湯ヶ島小学校に入学。
1920(大正 9) 13歳 養祖母かの死去。父の任地浜松に移り、翌年浜松中学校に入学。
1922(大正11) 15歳 父の台北転任にともない沼津中学校に転校。
1927(昭和 2) 20歳 金沢の第四高等学校理科甲類に入学。柔道部に入部。
1929(昭和 4) 22歳 柔道部を退部。「日本海詩人」「焔」「北冠」などに詩を発表。
1930(昭和 5) 23歳 第四高等学校を卒業。九州帝国大学法文学部英文科に入学。
1932(昭和 7) 25歳 京都帝国大学文学部哲学科に入学し、美学を専攻。
1933(昭和 8) 26歳 「三原山晴天」が「サンデー毎日」の懸賞に佳作入選。
1934(昭和 9) 27歳 「初恋物語」が「サンデー毎日」の懸賞に当選。
1935(昭和10)28歳 初めての戯曲「明治の月」が新橋演舞場で上演される。京都大学名誉教授
              足立文太郎の長女ふみと結婚、京都市左京区吉田浄土寺に新居。
1936(昭和11)29歳 京都帝国大学卒業。「サンデー毎日」に応募した「流転」により千葉亀雄賞
              受賞。大阪毎日新聞社に入社、「サンンデー毎日」編集部に勤務。
1937(昭和12)30歳 日華事変の勃発により名古屋野砲第三連隊に召集。中国北部各地に駐屯。
1938(昭和13)31歳 脚気のため内地送還となり、学芸部で宗教欄美術欄を担当。
1945(昭和20)38歳 大阪毎日新聞の社会面に終戦記事「玉音ラジオに拝して」を書く。
1948(昭和23)41歳 東京勤務となり、単身上京。
1949(昭和24)42歳 家族と品川区大井森前町に住む。「猟銃」「闘牛」「通夜の客」を発表。
1950(昭和25)43歳 「闘牛」により芥川賞受賞。「比良のシャクナゲ」「黯い潮」を発表。
1951(昭和26)44歳 毎日新聞社を退社。「戦国無頼」「玉碗記」「ある偽作家の生涯」を発表。
1952(昭和27)45歳 「緑の仲間」「風と雲と砦」を連載。
1953(昭和28)46歳 品川区大井滝王子に転居。「あすなろ物語」「風林火山」を連載。     
1953(昭和29)47歳 「あした来る人」を連載。 1955(昭和30)48歳 「淀どの日記」を連載。
1956(昭和31)49歳 「射程」「氷壁」を連載。
1957(昭和32)50歳 世田谷区世田谷に転居。初めて中国を旅行。「天平の甍」を連載。
1958(昭和33)51歳 「天平の甍」により文部大臣賞受賞。「楼蘭」を発表。詩集「北国」刊行。
1959(昭和34)52歳 「氷壁」他により芸術院賞受賞。父隼雄死去。「敦煌」「蒼き狼」を連載。
1960(昭和35)53歳 「敦煌」「楼蘭」により毎日芸術大賞受賞。ローマオリンピックのため毎日
              新聞から特派され、初めてヨーロッパ各地を旅行。「しろばんば」を連載。
1961(昭和36)54歳 「淀どの日記」により野間文芸賞を受賞。「憂愁平野」を連載。
1962(昭和37)55歳 「城砦」を連載。
1963(昭和38)56歳 取材のため韓国へ行き「風濤」を発表。
1964(昭和39)57歳 日本芸術院会員となる。「風濤」により読売文学賞受賞。「わだつみ」取材
              のためアメリカを旅行。「夏草冬濤」「後白河院」を連載。
1965(昭和40)58歳 ソ連領中央アジアを旅行。「化石」を連載。
1966(昭和41)59歳 「おろしや国酔夢譚」「わだつみ」を連載。
1967(昭和42)60歳 ハワイ大学夏期セミナーの日本文学の講師に招かれる。詩集「運河」刊行。
1968(昭和43)61歳 「額田女王」「北の海」を連載。
1969(昭和44)62歳 「おろしや国酔夢譚」により新潮日本文学大賞受賞。
1971(昭和46)64歳 「美しきものとの出会い」「星と祭」を連載。詩集「季節」刊行。
1973(昭和48)66歳 アフガニスタン、イラン、イラク、トルコを旅行。母やゑ死去。
1976(昭和51)69歳 文化勲章受賞。詩集「遠征路」を刊行。
1977(昭和52)70歳 「流沙」を連載。中国へ行き、新彊ウイグル自治区を旅行。
1978(昭和53)71歳 初めて敦煌を訪ねる。
1979(昭和54)72歳 NHKシルクロード取材班と訪中、西域各地をまわる。
1980(昭和55)73歳 日本中国文化交流協会会長に就任。菊池寛賞受賞。仏教伝道文化賞受賞。
1981(昭和56)74歳 放送文化賞受賞。「本覚坊遺文」を連載。日本ペンクラブ会長に就任。
1982(昭和57)75歳 「本覚坊遺文」により新潮日本文学大賞受賞。パリの日仏文化会議に出席。
1984(昭和59)77歳 第47回国際ペン東京大会を運営委員長として開催。詩集「乾河道」刊行。
1985(昭和60)78歳 朝日賞受賞。
1986(昭和61)79歳 北京大学名誉博士号授与式に出席。食道癌のため国立がんセンターで手術。
1987(昭和62)80歳 「孔子」を連載。家族とパリを訪問、ヨーロッパ各地をまわる。
1988(昭和63)81歳 宮中歌会始召人として召さる。孔子生地曲阜を訪問。詩集「傍観者」刊行。
1989(平成1) 82歳 「孔子」により野間文芸賞受賞。 1990(平成 2)83歳 詩集「星闌干」刊行。
1991(平成3)     1月29日、急性肺炎のため国立がんセンターで逝去。随筆「負函」が絶筆。